回想・・・HACCPとの出会い
1994年、初めてHACCPと言う文字を目にして、危害要因分析とHACCPプランを作成した。当時、国内にまともな参考書は殆どなく、札幌、東京出張時に本屋巡りを行い(記憶が定かではないが)「HACCP – これからの食品工場の自主衛生管理 河端俊治/春田三佐夫共著」を見つけた。それを参考に見様見真似で当時日本有数規模の牛乳製造工程のHACCPシステム構築を自主的に行ったが、今思えばとてもHACCPシステム等と呼べるものではなかった。3年後の1997年に厚労省の「〇総」が制度化され、各乳業メーカーが牛乳製造工程で競うように承認申請を行った。当時、2週間の米国出張で牛乳パック原紙メーカの監査(の名を借りた豪遊?)を行い、帰国直後の時差ボケも治らない私に、他の選任者達がgive upした厚労省への申請書の作成が命じられた。(まった迷惑千万な作業だった)15cm幅のファイル2冊、CCPが6工程の申請書を作成し、さて厚労省へ行くか!と思いきや、「申請は俺たちが行く!」とgive upした選任者が良いとこどりして、社長からの激励を受け勇んで出向いた(笑)また、HACCPシステム構築研修を1998年2月、3月に九段会館で(社)全国牛乳協会主催の基本事項講習会2日間、専門講習1日間に参加したが・・・100人以上の参加者が(HACCPをよく理解していない講師が資料を読み上げるだけを)ただただ聞く3日間の苦行を経験した(笑)それから今に至るまで27有余年、HACCPシステム様のお供をしてきた。当初、HACCPってなに?メンドクサイ・・・だったのが、大企業ではほぼ普及し中小零細企業でも(あえて)義務化により普及が期待できるまでになった。しかしながらHACCPシステム構築の実態は1997年当時とさほど変わっていないように思える。これまでの経験には、2000年の乳業メーカの食中毒事件でHACCPシステム安全神話は崩れ去り、自らも2004年に異物混入による大規模回収事故を経験し、相変わらず巷では回収事故が後を絶たない・・・教科書に書かれている通りのHACCPシステムでは事故は防止できないことを痛感している。今の研修は内容も改善されが、正直な印象は自分が1994年に経験したと同様に、HACCPシステム構築に必要な文書の作成を理解するのが精いっぱいに思える。この研修を否定する気持ちは毛頭無く、必須だとも思っている。しかし、実際の工程で起きている事故の経験から得られた「HACCPシステムの精度向上方法」を各業界ごとに訓練する必要性はないのだろうか?我が国はHACCPシステムを導入して25年近く経過している。もうそろそろ初等教育に終始せず、応用教育の制度化も必要と痛感するこの頃である。